ページ コンテンツ

正論は自分自身をきれいにだますウソ


【正論は自分自身をきれいにだますウソ】

心理学講師の中村彦左衛門です。

お正月に、姪っ子と(6歳)とオセロしていたら、

となりで兄がスマホゲームを始めました。

すると、姪っ子はゲームの途中なのにスマホゲームの方にすっと行ってしまったんですねー。

あっけにとられながらも、瞬間的に頭に思いついたのは、

「スマホゲームは子供の教育に良くない」とか、

「ゲームを途中で放り出すのは失礼」だとか、

「スマホは目に悪くなる」とかだったんです。

ちょっと聞いた感じ、正論ぽいですよね。

でも次の瞬間すぐに気づきました。

私は残念だったのです。さみしかったのです。

残念なら残念で、さみしかったのであればさみしかったのでいいんです。

6歳の子だろうが、20歳だろうが40歳でも80歳でも、自由に行動していいんです。

相手の行動は完全に相手の自由なのです。私がとやかくいうことではありません。

残念でさみしい、という気持ちを自覚した上で、

正論は正論としての価値があるので、正論の内容をアドバイスするのか、

あるいは、まあいいか、と終わらせるかすればいいんです。

(特に相手が子供の場合、わたしは命の危険とか誰かを叩くとかじゃない限り、大体まあいいかで終わりです)

そうではなくて、残念でさみしいという、

その気持ちの憂さ晴らしのために、正論を利用し振りかざすと、

これは自分にも相手にも良い事ない、誰も得しない結果が待っています。

感情的に、自分の正しい言い分を通す事が目的になるし、

相手はキツい言い方や決めつけに反発するに決まっています。

正論を頭からもろにくらうと、心理的に悪いのは自分、とわかっているだけに、余計に反発します。攻め込まれている以上、刀を捨てる訳にはいかない状況になるのです。で、泥沼化します。こんなやり取りを何度も続けていくと、関係は悪くなっていくでしょう。常に斬りつけられまいと身構えていくうちに、いつしか相手が敵に思えてくるのです。

正論は正しいが故に価値があり、

そして正しさに自分もだまされて、

正しさを証明する事が目的にすりかわる恐ろしさがあります。

正しさではなく、楽しさが一番、それをいつも念頭においていたいですね。

ありがとうございました、中村彦左衛門でした。(^o^)

※一月のセミナースケジュール更新しました!!!